危険な暑さ、と言われると外に出たくなるのもカリギュラ効果だろうか

最近は朝の5時30分に目覚める。歳を取ったのかもしれない。朝の6時とかになると、遮熱遮光のカーテンごしですら、外がもう真夏日になろうとしているのがわかる。昼間が夏日に達し始めた頃は、太陽の光が地球を少しだけ軽くしたような、そんな感じもしたのだけれど、真夏日を超えてしまうともう、太陽の光は湿気と混ざって重いぐらい。でも白い雲は更に白く光って地平線を透かし、光を浴びるためにできた砂浜は柔らかく、それでいて確固たる意思のある弾力を持っている。

冬が嫌いだから相対的に夏のほうが好きになる。もう何百回ときいた、夏嫌いの言い訳である「冬の寒さは着込めばしのげる(が、夏の暑さは脱いで裸になっても耐えられない)」は、生まれつき冷え性持ちで身体の中から冷たい自分には詭弁にしか聞こえないし、じゃあ一年中裸でいる顔の周りが寒ければ、君は顔をヒートテックで覆うのかい?

本当に暑いのは梅雨明け前後から9月中旬の3ヶ月もなくて、11月下旬から3月いっぱいまで続く冬に比べれば半分ぐらいの長さしかない。そのなかで自分が自由に使える日なんてほんのわずかしかない。だから夏は尊い。冬の寒さは私を布団の中に閉じ込めるけど、夏の暑さは私を布団の外へと飛び出させる。

そんな本当に暑い日の太陽を、今年もいつもと違う場所で浴びたいのだけど、それをどこで浴びるか考える気力もないほど、今自分は生活の力を失っている。遠い何処かの港町で、何も決めずただ何もしない。そんな「旅」でもいいのかもしれない。旅に上手いも下手もない。だから面倒くさいと思いつつ、結局どこか遠くにいるのかもしれない。