本に読まされている

本に読まされている気がする。読書に追われている。1ミリでも読みたいと思うから買うのだけど、hontoのポイントがたまっていたり、電子書籍が割引になったり、hontoのポイントが5倍になったりとかそんな不純なタイミングでアホほど本を買い込むので、本の購入速度が読了スピードを上回っている。読まれずに積んでいる本は、全く興味がないわけではないが、いま一番読みたい訳ではないものばかりが残っている。

読書に能動性がない。積んでる本を消化したいというただそれだけの理由で本を読んでいる。

「教養」を強要されている「ビジネスエリート」の皆様*1とか、周りの人たちの会話についていくだけの理由でアニメやら映画やらを見たりしている人も、たぶんそんな感覚なのだろうかと思ったりする。なにかの義務感に駆られて読む。「ビジネスエリート」という虚構の存在の実存を信じ、その虚構に自らも近づかなければならないという義務感のために。

まあでも義務感で読んでいるというのは自分も変わりはなく、単純に欲しいと思った本を無節操に買い漁ってる本に囲まれている。相変わらず専門書の類ばかり読んでいて、たとえば軟骨魚類とか現代美術について詳しくなったところでどうなるのかと空虚な気持ちになることもあるが、そこは知りたいのだから仕方がない、と割り切るしかない。その結果として手帳やブログに気の利いた一言でも書けるようになったらそれでよい。

ショーペンハウアーの「読書とは、他人にものを考えてもらうことである」という一文はあまりにも有名だけれど、これを「思考のアウトソーシング化」というと急にサービスとしての商品っぽくなるし、自分の代わりに考えてくれて、自分の代わりに「教養」を持ってきてくれる本がいまもてはやされている。別にそれがいい悪いではない。どちらにしろ読書という行為そのものはどんな本を読もうと受動的な行為であることに変わりはない。本は読まされるものだ。

*1:これだけの「教養」本が溢れている昨今、きっと「世界のビジネスエリート」はブリタニカ百科事典でも丸暗記しているのだろう