1年ぐらい前にうっかり買ったメイヤスーの『有限性の後で』をようやく3章まで読み終えて、有名なあの偶然の必然性、というところまでたどり着いた。ところが4章の見出しを見るとヒュームの問題、とあり、ひょっとしたらまた別の話になるのかもしれない。読書にあたっては岩内章太郎『新しい哲学の教科書 現代実在論入門』(講談社、2019年)を補助線として読んできたのだが、この本も3章までざっと解説するとメイヤスーの次著『亡霊のジレンマ』の話を始めてしまう。そもそもこの本を買ったのは私がうっかり現代アートというものに興味を持ってしまったからで、現代アートが思弁的唯物論というものに大きく依拠しているという記述を発見し、どういう思考回路だったのかは覚えていないが立ち読みしてまあ読めるだろうと思って買ってしまったものである。ただ、現代アートの人がこの本をちゃんと読んでいるのはひょっとしたら第3章までかもしれないし、もっと悪く言えばあの偶然性の必然性に関する2文だけかもしれない。わからない。語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
まあでも現代哲学の原著なんて読むのは初めてである(たぶん西洋哲学で読んだ本で一番新しいのは『存在と時間』だろう)。現代哲学はそれまでの哲学を否定することから始まる、ということでこの本はカント以来の西洋哲学を否定するところから始まる。そもそも想定読者が哲学徒なので哲学の歴史については自明かと思いますが、というテンション。なのですいませんこちらは一応高校時代に倫理を履修(というか必修だった)しているとはいえたぶんカントまではやってないしあとは竹田青嗣の『現代思想の冒険』『自分を知るための哲学入門』ぐらいしか読んでませんすいませんというテンションで読み進めることになる。
思うにもはや有史時代が人間に対して長過ぎるのではないかという気がしている。そのうち「日本史」や「世界史」は人間が一生かかっても学びきれない量になってしまうのではないか。というか有史時代から順に政治の出来事を追っていくというスタイルがそのうち時代遅れになるはずで、だからもう逆に「世界史」というのはやめてしまって、E.H.カーの『歴史とは何か』とかの歴史哲学みたいなものを高校生にぶち込んでしまい、何かしらの概念の歴史はそれぞれの概念――美術なら美術史*1とかでやればいいのではと思ったりする。あとは砂糖とかチョコレートとかじゃがいもとか、そういう個別のモノで。