秋田に来たなら藤田嗣治の『秋田の行事』だよな、と思って秋田県立美術館の展覧会を調べたら「ミネバネ! 現代アート」という、割と狭い意味での美術の展覧会が行われていたので、行くことにした。つまり、秋田県立美術館にやってきた第一目的は『秋田の行事』であることをここに正直に書き記しておかねばならない。
『秋田の行事』は高さ365.0cm、幅2050.0cmの大壁画。これを2週間で仕上げたという神話のような逸話が残る。壁画と言っている割にちゃんと額装されていて、この額もだいぶ大きい。制作にあたっては米蔵をアトリエとして提供され、その米蔵の模型も展示されている。「搬出の際に壊した部分」というところが示されていて、じゃあその米蔵はその後どうなったのだろう。さすがに全部ぶっ壊したのかな。
しかしこの大きさ、高さだけならレンブラントの『夜警』みたいだと思って調べたら『夜警』の高さは363cmで、逆に予想と近すぎて引いた。ただし、私が見たのは大塚国際美術館に置かれている実物大の陶板画であり、実物を見たことがある訳ではない。
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さて肝心の「ミネバネ! 現代アート」であるが、タグチコレクションという現代アートのコレクションの展示である。ここのコレクションではない。すぐ近くにある秋田市立千秋美術館との合同開催で、県立美術館でチケットを買うと同じチケットで千秋美術館にも入れる。お買い得。
60年代後半以降の生まれの作家の作品が中心で、その年代となると日本人は知った名前が多いが海外のアーティストとなると知らない人が多い。それもそのはず、割と非西洋系のアーティストが多い。作家の世界認識、アイデンティティ、共同体、社会制度や規範、政治的メッセージがことに作品自体に深く関わりがちな現代アートにおいて、「作家の情報」というのが思ったよりも大事であることに気づく。印象派の少しマイナーな知らない画家の作家を見るのとは見方が明らかに違う。画家のことを知っていればより理解が深まるとかそういう問題ではない。わからんのである。
というよりも、世界認識やアイデンティティなどを問うような要素を持った作品を中心に集めているコレクションなのかもしれない。このような作品だちにとって「作品」とは、目の前にある「もの」ではなく、そこから浮かんでくるイメージやメッセージのほうが「作品」なのではないか。目の前にあるものはもはやメディウムに過ぎないのかもしれない。
しかしそんななかで千秋美術館のほうの「カラー」のセクションは、広くて白い部屋にジョセフ・アルバースやフランク・ステラを思わせる作品が並び、今年3月に惜しまれつつ休館したDIC川村記念美術館の展示室を見ているようだった。すなわち色彩感覚の追求。リレーショナル・アートがもてはやされるまでアートとされていたもの。アートは変わる。