北条政子は「演説」なんかしていない

北条政子で思い出すのは高校時代の日本史の先生で、「今のものの視点で歴史を見ると見誤る」と言う話の例で、「演説」は明治時代に生まれた言葉だから、北条政子は『演説』なんかしていない」という。歴史上の出来事を現代の視点で見るようなコンテンツはよく見かけるけど、あれはエンターテイメントだから許されるのであって、歴史学するなら当時の文脈(これもその日本史の先生からよく言われた言葉だ)から見なければいけないということだ。テストは割と適当な先生だったけど、史学科に進んでから先生の言っていることの大事さを知ったなあと、やたらと見かける北条政子の文字を見て思い出す。

そもそも大日本帝国成立以前に果たして「日本」はあったのか、という話があり、今の日本国の地理的領域を無批判に「日本」と言っていいのか、少なくとも人文科学系の学問をされている皆さん(歴史学以外も含む)は改めて問わなければならない。鎌倉幕府は「日本」の「トップ」だったのか。江戸時代以前の仏教画や仏像、屛風絵などを「日本美術」と言い始めたのは明治時代になってからなのだから。

そう考えるとだんだんと「国民意識の形成」の話になってくるな。私が明治時代が好きなのはだいたい日本のいろいろな制度やモノの見方に「国民国家」という制度が関わってくるからで、いま私たちが当たり前だと思っているものの見方は、平安とか鎌倉とかの時代からではなく、案外明治時代ぐらいからのたかだか150年ぐらいの間に「作られた」ものである、という感覚がなんとなく好き。初詣とか(これは特に国民国家とは関係ないけど)。でも歴史好きというとだいたい幕末とか戦国とかいうイメージがある。たぶんキャラクタライズしやすい人間がたくさん出てくるからだろうな。でも私は人間よりも「国民意識」とか「仕組み」とか「制度」とかのほうが好きで、というよりそもそも別に歴史好きではない。史学科出てるけど。