「マスコミ映え」しない人生でありたい

大学生の頃、ラングストン・ヒューズが死んだ時に一体何を流したのだろう、と思って『ラングストン・ヒューズ事典』を読んだらちゃんと"Do Nothing Till You Hear From Me"と書かれていてこれは素晴らしい本だと思った。つまり"St. Louis Blues"でも"St James Infirmary"でもなかったのである。*1 

だからこう書いておいてそうなる訳ではないことはわかっているのだけど、人生最後に聴く音楽はマーラーの9番の第4楽章であればいいとずっと思っている。できれば冒頭のアクセントはそれほど強調しないでほしい。約25分という演奏時間を使って自分という存在を少しずつ消してゆき、最後の一音がいつ消えたのか、演奏者も指揮者も観客も誰もわからないまま、指揮者の腕がゆっくりと降りてゆくのを呼吸もせずに見守っているときの、あの完全で幸福な静寂のなかで、指揮者がタクトを完全に下ろし切って静止するように死んでいたい。

大きな事故に巻き込まれない限り一人で死ぬのだと思う。その事故の社会的注目度が高くなってしまうと、報道機関の皆様が、それが国民の「知る権利」に応えるための、自分たちにしかできない使命だと思い込んだ、しかし実際は営利企業である以上他社よりも「いい記事」を作るために、「いい数字」を取るために、そして自らの成績のために、私の「人となり」を探りに行くのだろうと思う。そういう時のために、あまり「マスコミ映え」しない人生を歩んでいきたいと思うし、周りの人にもそういう人間だったという記憶を持たれていたい。

*1:ヒューズの詩集『片道きっぷ』に収められている「鎮魂歌へのリクエスト」という詩は2聯からなり、それぞれ「《セント・ルイス・ブルース》を演ってくれ/死んだら ぼくのために」と「《セント・ジェームズ・インファーマリー》を歌ってくれ/ぼくを埋める ときには」と始まる。