2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

村上隆もののけ京都

都美のモネと京都市美の村上隆を天秤にかけて、よく考えないままふわっと京都まで行ってしまった。2月頭から始まり、9月頭まで半年近くもやっている長い会期のせいなのか、作品の一部が未完成のまま始まっている。だから同じ作品を見ているはずなのに、展覧…

年度末なので平日は殆ど死んでいる

それでとりあえず行きたい展覧会は消化しきったと思う。ところが3月になると「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」というアイドルの曲名みたいな名前の展覧会が始まるし、もう図録が本屋で売られている「『シュルレアリスム宣言』10…

見た国宝のチェックリストを作ろうとしてやめたことがある

それでようやく中尊寺金色堂展に行った。雨降りの極寒の日でも20~30分の入場待機列ができている。物好きが集まるものだと思ったが、そういう自分も入場待機列がなくなった時間帯を狙ってノコノコと出かけていくのだから、そういう物好きの一人ではある。 国…

コツは「青春18きっぷ」の時期を避けること

自分のことをアクティブだと思ったことはなかったのだけど、毎週のように美術館に行ったり、水族館に行ったり、文具屋行ったり本屋行ったりしているからたぶんそうなのかもしれない。静かなところと一人が好きだけど、自分の家はそれほど好きではない。 昔は…

少ない方ではなく古い方に乗るというマインド

東京に宇都宮に行くのに日光まで東武のスペーシアに乗る選択肢を取る人間は多分そういないだろうと思う。ただ、日光と宇都宮を結ぶJRの日光線は仕事の帰りに乗ったことしかなく、しかも夕方だったので最後のあたりは陽が落ちていたからもう一度ちゃんと乗ろ…

全線乗車は続くよいつまでも

日本国内の鉄道路線全線乗車の面倒くさいところは新しい路線が開業するたびにそれに乗らなくてはいけないところであり、1日でも「全線乗車」と言えなくなるのが嫌な人は開業日に合わせて乗りに行くらしいが、私にはそのようなこだわりがないのでしばらくの…

東博のミュージアムショップの使い方

東博のミュージアムショップは日本最強クラスの芸術書専門本屋であると勝手に思っている、ということは前にも書いた。あそこ以上に展覧会の図録が充実している本屋はここと神保町の悠久堂書店しか知らない*1。画集、作品集のほかに歴史や文化、宗教などの人…

相互に繋がりあう瞬間が協和する周期を意識せずに生きていく

麻布台ヒルズに行った。目的はオラファー・エリアソンだった。オラファー・エリアソンと言われてもよほど現代アートに詳しくないとピンと来ないかもしれないけれど、金沢21世紀美術館の外にある、あのカラフルな螺旋状のガラス板の真ん中に白いガラス玉が立…

昨日はどこにもありません

この時期に「真冬並みの寒さでしょう」と言われるたびに「12月から3月はずっと真冬だろ馬鹿野郎」と思う。「真冬並み」というのは真冬じゃない時期に真冬みたいない寒さだから真冬並みなのであって、12月から3月は真冬だから真冬の寒さが当たり前であ…

抽象絵画なのでいいのです。

自分が考えた、自分だけしか知らないキャラクターを描くというのは具象画ではなくて非具象画ではないかとふと思った。世界でただ一人、自分の脳内にだけにあるものは、たとえそれが大多数の人間が人間として認知しているもののような形をしているとしても、…

幸せの青い色鉛筆

青色が好きなので青色の色鉛筆ばかり集めたら幸せになれるのではないかと思ったのだが、人肌を塗るのにどうしても青色だけだと都合が悪いので結局数10本入りの色鉛筆のセットを買った。人生そう上手くはできないようになっている。 子供の頃なぜかは知らんが…

買ったかもしれないけれど読んでないかもしれなくて、買ってないかもしれない

ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫)と巌谷国士の『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)を買った。前者は以前買ったような記憶があるのだけれども、hontoにも三省堂書店の履歴にも残っていないので買っていないかもしれない…

サービスエリアみたいな空港(広島紀行: 10了)

宮島を最後に観光するなら広島から新幹線に乗ったり広島空港まで出てそこから飛行機に乗るより、岩国空港まで出たほうが早いのではと思いついたのは天才の思い付きだと思った。広島から新幹線だと4時間ぐらいかかるし、広島空港だといったん広島駅まで出て…

冬の宮島はどこもかしこも穴子か牡蠣か(広島紀行: 9)

冬に広島に行くとどこもかしこも牡蠣である。居酒屋も牡蠣、お好み焼き屋も牡蠣、果てはカレーパンにも牡蠣である。しかし私は牡蠣が食べられない。だから宮島に行って食べられるものは穴子しかない。宮島には牡蠣屋か穴子屋しかない。ただ、結構な数の店が…

本物はこないだ東京で見ましたよ(広島紀行: 8)

5年ぶりに宮島に行った。その時は宮島に行くためというよりは宮島のフェリーに乗るために行ったので、宮島に着いてすぐ帰ってきた。それ以来の宮島だった。この5年の間に広電の宮島口駅もフェリーターミナルも新しくなっていて、そして宮島の上陸に税金が…

キービジュアルが「硯箱」の展覧会があるらしい

「バレンタインデーは所詮お菓子会社の広告」とバレンタインデーを蔑む人は、初詣だって鉄道会社の広告なのだから冷笑してやり過ごさなければならない。初詣は所詮150年の歴史しか無い「文化」である。 しかしながら、自分が最近世界のなかにいないからかも…

僕が見たかった青空

blueskyに登録した。Xに飽き飽きしたユーザーにとっての「僕が見たかった青空」みたいな名前だなと思った。別に登録してアカウント作ったからって使い分けをしようとしている訳ではない。単にこのアカウントの名前を他の人に取られないように確保しておくぐ…

幅105mmはポストカード入れとしては厳しい

ショッピングモールで2~3歳児をかわしながら歩いていた時、この感覚が何かに似ていると思ったら歩きスマホをしている人をかわしている感覚だった。つまり歩くということより他に興味、注意を惹くものがあるということで歩きスマホは2~3歳児並みの注意…

DIC川村記念美術館で、意識と無意識のあいだを体験する

DIC川村記念美術館に行ってきた。東京駅から直通のバスが出ているのだが、客は3人しかいなかった。特別展をやっていないからかもしれないが、これはこれで大丈夫なのかと思う。 コレクションの中心は戦後アメリカの現代美術、抽象表現主義とかミニマリズム…

トラフザメが動くまで40分待つことは容易い(広島紀行: 7)

縮景園前から乗った電車を八丁堀で降りたら、走り去っていった江波行きの電車のすぐ後ろから、観音マリーナホップへ行くバスがやってきたので飛び乗った。電車代を損したようにも思ったが、縮景園前から八丁堀は特別運賃で160円なので、舟入本町で乗り換える…

鉛筆を買った、鉛筆削りも買った

鉛筆を買った。今まではカランダッシュのフィックスペンシルという、鉛筆のシャープペンの間みたいなものを美術館で使っていたのだが、東京国立博物館ではシャープペンと認定され、他の美術館でもいちいち確認を求められるなど関係各位にご迷惑をかけたので…

「世界のビジネスエリート」とは何か

「世界のビジネスエリートが知っている」という枕詞がついた本が書店に面陳されているのを見ると、そういう名前をつけたほうが本っていうものは売れるのだろうなあと思う。みんな知っているから自分も読む。同調圧力のようなものだ。ただ「世界のビジネスエ…

コレクション展の季節(広島紀行: 6)

広島に行くならひろしま美術館にも行きたかった。それで調べたらちょうど特別展が終わったあとで、コレクション企画展というものが始まる前でコレクション展示、要するに常設展しかやっていない。特別展をやっているのも良し悪しで、それが巡回展で東京でも…

デカルト的な、あまりにデカルト的な

世界のほうが自分に合わせてくれるという世界認識が自分のOSのデフォルトの設定になっている人の、それが当たり前だと信じて疑わない信念の強さにある種の憧れさえ感じる。きっと子供の頃から言えば周りがなんでもやってくれたんだろうね。そして大人になっ…

どうせ定時まで帰さぬつもり

アニメなどでご存じの方も多いかと思うが日本の軍歌に『雪の進軍』というものがある。名にし負う大日本帝国時代の軍歌とは到底思えない能天気なメロディと歌詞は、雪中行軍(作者は日清戦争の様子を曲にしたらしい)の兵士の苦労を愚痴ったものである。現代…

僕は感想を持っていない(広島紀行: 5)

日本という場所に生まれてしまった以上、長崎と広島の原爆資料館はいつか行かなければならないと勝手に思っていた。3年前ようやく長崎の原爆資料館に行って、今回、広島の方にも訪れることができた。こういう場所は学生の頃に修学旅行や学校行事なんかで行っ…

恵方巻なんて最初からなかった

恵方巻なんて最初からなかった。少なくとも子供の頃はみんなで恵方巻を食べましょうみたいな文化は存在しなかった。当時また見ていたテレビにも、学校にも。文化はあるのではなく必ずどこかの時点で作られる。小売業界の流通プロモーションによっていつの間…

歩きスマホをしている人には後ろからドロップキックをかましても罪に問われない条例

歩いている時間を犠牲にしてまで見たい動画ややりたいゲームというものがないので、歩きスマホには基本的に同情できない。ただ「歩きスマホは危険です」というポスターを作って貼っている程度で世の中から歩きスマホを撲滅したいという気概は到底感じられな…

創作上における「世界」を作るのではないのだけど

ネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』という本を読んでいる。物語のようなものを書いていた頃タイトルに惹かれて買いそうになったことがあるのだが、背表紙の概要を読んだらどうも創作上の世界を作るのではなくこの世界の認識に関する本、即ち哲学の本…