「世界のビジネスエリート」とは何か

「世界のビジネスエリートが知っている」という枕詞がついた本が書店に面陳されているのを見ると、そういう名前をつけたほうが本っていうものは売れるのだろうなあと思う。みんな知っているから自分も読む。同調圧力のようなものだ。ただ「世界のビジネスエリートが知っている」と銘打った本を読むことはつまり自分は世界のビジネスエリートではないことを自認していることであり、そもそも世界のビジネスエリートという言葉で想像されるような「ビジネスエリート」は誰それが読んでいるから自分も読むのではなく自分の判断基準で読むものを決めているだろうし、それを知識のレベルで止めておくのではなくそれを自分の判断基準や行動規範に持っていくから「ビジネスエリート」なのだろうけれど、私達は所詮知識レベルでそれを知り覚えることで満足してしまう。

しかしそもそも考えてみると「世界のビジネスエリート」というのが一体何を指しているのか。「世界のビジネスエリートが知っている」と銘打っている本は一体何を「世界のビジネスエリート」と定義しているのか。「世界」とは何か。「ビジネスエリート」とは何なのか。そしてそれが定義するような人たちは、本当にこの世界に実在するのか。ただ無知な大多数の「エリートでないビジネスマン」がなるべき姿、なりたい姿であるところの幻想、想像上の存在に過ぎないのではないか。しかし「世界のビジネスエリートが知っている」と銘打った本を100冊読んでこれらの本が一体何を「世界のビジネスエリート」と定義しているのか調べるのはさすがに阿呆過ぎるので誰かやってください。