美しくて儚い最低限度の「ふつう」の生活

スマホの電池が30%を切っていたので、年末に買ってスマホにダウンロードしていた『うたうおばけ』(くどうれいん, 講談社文庫)を読み始めた。通勤の時は紙の本を基本的に読むけど、電池の残りが中途半端な時は早く電池をなくして充電するために電子書籍を読む。そういう時のために「やわらかい本」もたまには読む。一日ぐらいで読み終わりそうなもの。あるいは、なにかを書く気分にさせてくれるもの。

会社帰りに読み始めて、駅に着いたので一旦やめて、寝る前にもう一度読み始めて、日付が変わる頃に読み終えた。大学生って、やっぱりこんなふうにみんな友人がいて、恋をして、失恋をするものなんだなあと思った。ゼミにもちゃんと参加して、100人ぐらいいるサークルにいたのに結局友人なんて1人もできなかったし、ふつうの大学生が同じ大学の人と過ごすような時間を一緒に過ごした、別の大学に通っていた恋人(高校の同級生)は大学を卒業する半年前に別れてそれきりだし、それより前にも後にも、誰かと付き合うということをしたことがない。居酒屋で酒を飲むのはサークルやゼミの集まりで、失恋をしたときとか、そうでないときとかに誰かとプライベートで酒を飲むことなんてのもなかった(そもそも友人がいないからな)。私なんかと比べたらよっぽど「ふつう」なのだ、そしてそれぐらいの「ふつう」さがないと、周りから特異な眼で見られ面白がられることはあるにせよ、「共感」が求められる世界では正しく生きていけないのである。でも、そんな「ふつう」な生活を送るという、狂おしいほど一人が大好きな自分には何回生まれ変わってもできないことが、儚く美しく書かれている文章を読んで、なんかどうしようもない気持ちになって、そのまま寝た。美して儚い最低限度の「ふつう」の生活だ。

私は(笑)を多用する人間である。だから(笑)を使う人の弁明をさせてほしい。あれは絵文字を使うのが恥ずかしいからなのだ。絵文字を文末ごとに入れてくるメールやコメントに対する、精一杯の愛想なのである。