さみしいときは青青青青青青青

寺山修司の本を買ったのはいつ以来だろう。短歌を作っていたころに『寺山修司全歌集』を買って以来だから、10年ぶりぐらいになるだろうか。

とある会社の面接で、「尊敬する人は?」と訊かれて、咄嗟に「寺山修司です」と答えた。本当は尊敬、というよりただ好きだった、というのが正しいのだろう。しかし、詩や物語や評論や合唱曲のようなものを作っていた大学生の自分にとって、詩も、短歌も、評論も、物語も作れる寺山はスターだった。

『さみしいときは青青青青青青青』というタイトルを見た時に「『水妖記4』から引いているな」、とわかるくらい、寺山はよく読んでいた。でも詩、短歌、評論、エッセイばかり読んできて、物語というのはほとんど読んだことがなかった。寺山が好んで用いるモチーフ、海、かもめ、猫、そして恋。猫もキャッツアイも青くはないかもしれないけれど、後は青を連想できる色だ(「恋はみずいろ」である)。ただ、「大人」になってしまったいま読んでいると「このモチーフはこの詩に出てきた…」「この言い回しはあの詩の…」ということばかりが頭に浮かんできて、物語自体を楽しめない。まあ、自分が物語自体があまり好きではない、というのもあるのだけれど。だから、「少年少女」だった頃にこの本を読みたかった、かもしれない。

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「少年少女」だった私は寺山の何を読んで過ごしたかというと、角川文庫から出ている『寺山修司少女詩集』である。

寺山を何で知ったのかをあまり覚えていない。高校2年の定期演奏会の最終ステージが寺山の詩を使った『カウボーイ・ポップ』(信長貴富作曲)に一度決まった、と聞いていたから、その時に寺山修司という名前を知ったのか。それとも大学生になって詩を読むようになって、それで自然に寺山修司の名前を知ったのか、よくわからない。ただひとつ確かなのは、就職して一人暮らしを始めた時、多くの詩集を実家に置いてきたり、或いはこの10年で詩を読まなくなって多くの詩集を手放したりしたあとでも、まだ手元にあるぐらい大事だと思っている、数少ない詩集であるということである。

海やかもめのイメージを浮かべたいとき、どうしてもここに戻ってくる。この本はそんな場所である。海、かもめ、猫、そして恋。そんなものの破片たちがここには集まっている。