忘岬へ(忘埼灯台)

忘岬にある忘埼灯台*1は本土最南端の灯台である。海果諸島にもいくつか灯台があるから最南端ではないのだけど、中に入って登れる灯台としては最南端にあたる。

忘岬、ずいぶん詩的な響きのするこの場所に来ると立原道造の詩を一節を引かずにはいられない。

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

 

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして 戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

(『のちのおもひに』)

日本現代詩に目覚めた男子大学生は必ず立原道造または中原中也を通り、14行のソネットに憧れる、というのはたぶん偏見だと思う。現に私は中原中也がついに最後までピンとこないまま、詩というものから離れてしまったから。私が実際に初めて立原道造に触れたのは大学生の頃だった。立原道造の詩を使った曲を歌うことになり*2、大学の本屋で買った『立原道造詩集』、これが生まれて初めて買った岩波文庫だった。

長い螺旋階段を登り、最後に梯子を登って外に出る。今は当たり前のようにある(またある場面ではそれが義務化されている)バリアフリーというものが、最後まで解消されない場所があるとしたらきっと参観灯台だろうと思う。狭いドアを出たあとで外に見えるのは、結局どの灯台に行こうが海なのだが、それでもそれがあれば登ってしまう。天橋立に行くのが目的だったのに*3、気がついたら一日4本しかないバスに乗って経ヶ岬灯台に行ったこともあったぐらいだから、無理をしてでもそこまで行こうとしてしまうのは、灯台というものが好きだからかもしれない。

それはきっと灯台が「おしまい」の場所だから。絶えず心の中に生まれては消えていく希死願望だけではない。この延々と繰り返される日常が終わることへの憧れ。何かが「終わる」ことへの憧れ。日本の鉄道に全部乗ろうとしていたときは、その記録を旅行記のようなものにまとめていて、それを全て書き終えた時、何か長い物語をひとつ書き終えたような感じがして、この達成感みたいなもののために日本の鉄道に全部乗り、それをわざわざ記録してきたのかもしれない、と思った。

その最後の駅となった南海の多奈川駅は「岬町」という名前の町にあることを知ったのは多奈川を最後にしようと決めた後のことだった。このことを知った時、即座に私はヨーロッパの最西端ロカ岬に刻まれているというルイス・デ・カモンイスの「ここに地終わり、海始まる」という一節を思い出した。しかし実際に多奈川の駅に降り立ってみると、たしかに何かは終わったが、そこから何かが始まった訳ではなかった。

「岬の向うは無であり、滅」と書いたのは同じ立原でも立原正秋のほうだった。結局灯台の向こうは無なのであって、始まりではない。よほどのことが無い限り、後ろ側に広がる陸地のほうに戻らなくてはならない。しかし案外灯台というものは海ではなく陸地を展望するものではないかと思うことはあり、潮岬灯台なんかは陸繋島になっている様子がよくわかる。ただここでは振り返ってみても鴎や藍崎の市街の合間に緩やかな丘陵地帯が見えるばかりである。

*1:ちなみに住所は鴎市忘崎である。ややこしいことこのうえない

*2:驚くことに、私は高校時代に立原道造の詩に付曲した合唱曲のうちで最も人口に膾炙していると思われる木下牧子の「夢見たものは……」を歌ったことがなかった

*3:正確に書くと天橋立にあるケーブルカーに乗るのが目的だった