買ったかもしれないけれど読んでないかもしれなくて、買ってないかもしれない

ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫)と巌谷国士の『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)を買った。前者は以前買ったような記憶があるのだけれども、hontoにも三省堂書店の履歴にも残っていないので買っていないかもしれない。大昔存在したリブロで買ったのかもしれないし、大学の生協で買ったのかもしれない。でも読んでみても読んだような記憶がない。そのうち「詩」と呼ばれるページに入ったらフォントや大きさが自在に変えられていて、こんなページを見た覚えはないので、ああ多分読んではいないんだろうなと思った。でも実際家に本はない。だから買っていないのかもしれない。もしかしたら実家にあるのかもしれない

シュルレアリスムとは何か』も以前買ったかもしれない、と思ったのだけど、たぶん買ったのは塚原史の『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ちくま学芸文庫)だったかもしれない。でもこれも最後まで読んだ記憶がない。読まなかったかもしれない。でも読書とはまあそういうもんである。

10年ぐらい前にそういうものにかぶれていた時代があったというのは確かで、そういうものの見本というか理論というかを知りたかったのだと思う。昔からプロットを作ってそれに沿って話を書き進めていくということがどうしてもできないので、自動筆記に近い形でしか何かを書けない。プロットを作って何かを書いたことなんて国家公務員試験の小論文試験ぐらいしかない(行政書士試験の記述問題は「プロットを作って何かを書く」のうちに入らない)。あとはだいたい何も考えずに書き始める。そして気がついたときには終わっている。出来事がなにかひとつあればいい。今のこれもそう。そしてきっと明日もそう。