シュルレアリスム宣言100年: シュルレアリスムと日本(板橋区立美術館)

巖谷國士によればシュルレアリスム絵画にはデッサン・オートマティックの流れとデペイズマンの流れがあるらしい。デッサン・オートマティックはアンドレ・マッソンやジョアン・ミロによって試みられたいわゆる自動筆記のようなもので、日本では瀧口修造。デペイズマンはコラージュの方法を用いるもので、写実的な物体が結びつくことによる超現実の方法である。日本では澁澤龍彦

そして日本では後者の方法が主流だったことが板橋区立美術館で始まった「シュルレアリスムと日本」でよくわかる。砂漠とも砂浜ともとれる地面、遠くに見える水平線、その上に置かれる柔らかい物体、虫たち(特に羽虫やカマキリ)そのどれか1~2個のモチーフが必ずどこかに描かれる、言われなくてもダリの影響とわかる絵の数々。

図録は買わなかった(一般の書店で流通しているため)ので正確ではないかもしれないが、長末友樹《季節の貢》と多賀谷伊徳《飛翔する前》がデッサン・オートマティックの作品だったかなと思った以外は基本的に何かしらの具象であったように思う。

新しい風の中でドアが開かれ
緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
道は柔らかい地の肌の上になまなましく
泉の中でおまえの腕は輝いている。
そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
静かに成熟し始める
海と果実
大岡信「春のために」)

改めて読むとこの詩もデペイズマン的なシュルレアリスムだよなと思ったりする。「砂浜にまどろむ春」という書き出し、「夥しい手」「海」というモチーフ。しかしそこにあるのは心の中の傷やトラウマ、ダリの絵画にあるような不気味さではなく、瑞々しく眩しい青春である(この詩に信長貴富によって付曲された合唱曲は切ないまでの叙情に満ちている)。

日本におけるシュルレアリスムの受容から始まって、戦後まで追いかける展覧会なのだが、1950年代前半の作品で終わっている。その後は具体などの戦後美術の流れのなかへと吸い込まれて消えていったのだろうと思う。吉原治良の「具体」以前の作品が観られたのが貴重だった。

最初に書いた通り、私は巖谷國士の『シュルレアリスムとは何か』を読んでから展覧会に来てしまったのでこういう観方しかできなかったのだけど、シュルレアリスムの生み出す、任意の2つ以上の物体から引き起こされる関係について思いをめぐらせてみるのも楽しい。その関係から、上記の詩のような光景や、『溶ける魚』のような物語を考えるのも、たぶん楽しい。