抽象絵画なのでいいのです。

自分が考えた、自分だけしか知らないキャラクターを描くというのは具象画ではなくて非具象画ではないかとふと思った。世界でただ一人、自分の脳内にだけにあるものは、たとえそれが大多数の人間が人間として認知しているもののような形をしているとしても、それは果たして人間を描いていると言えるのか、具象画と言えるのか。

たとえば抽象芸術を辞書的な言葉で説明すると「自然界の形象を具体的に表現しない美術」(マイペディア)「自然や現実の再現を離れ、線・形・色などの造形要素によって制作される芸術の総称」(広辞苑)「対象となる事物を具体的に表現するのではなく、抽象化した線・面・形・色・量感などの造形的要素によって作品を構成する芸術」(明鏡)とあり、「対象となる事物の具体的表現」ではないかもしれないけれど(現実に対象となる事物は存在しないので)、造形的要素によって作品を構成しているのかと言われると果たしてそうなのか、疑問ではある。これは造形的要素によって作品を構成しているか?アンドロイドは電気羊の夢を見るか?しかしながら「造形的要素による作品の構成」もいささか具体的な定義に欠ける表現と言わざるを得ない。結局それも作り手が自称するところに拠るのではないか。要するに解剖学的におかしくても、視点的に書かれた位置がおかしくても、これは抽象絵画なのでいいのです。セザンヌだってひとつ間違えば遠近法がうまく描けない小学生の絵になってしまうのです。

しかし幅数センチ以上あるかA4版以上あるデカ本が3冊ぐらい積まれているので、あまりイラストばかり描いている場合ではない。