僕は感想を持っていない(広島紀行: 5)

日本という場所に生まれてしまった以上、長崎と広島の原爆資料館はいつか行かなければならないと勝手に思っていた。3年前ようやく長崎の原爆資料館に行って、今回、広島の方にも訪れることができた。こういう場所は学生の頃に修学旅行や学校行事なんかで行っておくべきところで、大人になってからわざわざ行こうとはなかなかなりづらい。

長崎でも思ったのだが、当時身につけていた遺品に名前が書かれているだけで、その人の背後の人生が目の前に浮かびあがってくるようだった。これは数字ではない、1人の人間の死なのだと。

人間は死んではならない。死は、人間の側からは、あくまでも理不尽なものであり、ありうべからざるものであり、絶対に起ってはならないものである。そういう認識は、死を一般の承認の場から、単独な一個の死体、一人の具体的な死者の名へ一挙に引きもどすときに、はじめて成立するのであり、そのような認識が成立しない場所では、死についての、同時に生についてのどのような発言も成立しない。死がありうべからざる、理不尽なことであればこそ、どのような大量の殺戮のなかからでも、一人の例外的な死者を掘りおこさなければならないのである。大量殺戮を量の恐怖としてのみ理解するなら、問題のもっとも切実な視点は即座に脱落するだろう。
石原吉郎, 「確認されない死のなかで」,  『望郷と海』(ちくま学芸文庫: :い-18-1), 筑摩書房, 1990) 

そして、何人もの人が亡くなった事故が起こるたびに起こるマスコミの報道も、おそらくこれを目指しているのだ、と思う。これは1人の人間の死であるのだ、というのを伝えたいのだと思う。しかしそこにあるのは所詮は数字を取るために「他の媒体より『いい』記事を書きたい」という営利主義の宿命と、その時その場所にいなかった、という絶対的に動かしようのない事実から生まれる軽薄さ、お涙頂戴のドラマもどきだ。

私は広島について、 どのような発言をする意志ももたないが、それは、私が広島の目撃者でないというただ一つの理由からである。
(同)

「原爆塔は見られましたか」
「見た」
「その感想を話して下さい」
「僕は感想を持っていない」
「なぜです」
「あれを見たら、そんな気になったからさ」
(内田百閒『春光山陽特別阿房列車』)

この被害の実態を知ることで、逆に原爆を経験していない自分と当事者との間に絶対的に埋めることのできない溝があることが感じられて苦しくなる。長崎でもそうだった。軽々しく「平和をまもろう」「原爆はいけません」と言い放っていいのか。しかし自分がもしその実感を持つとしたら、もうその時は手遅れだというジレンマ。ただただもどかしさのようなものが腹に溜まって、言語となって外に出せないまま渦巻いている。公園として整備されたその周辺を、ひたすらぼんやりと徘徊するばかりである。なにも結論は出ない。書くべきこともない。「僕は感想を持っていない」、今はそう書くしか無い。

ひとつ印象に残ったのは、原爆投下時まだ生まれていなかった人たちが、これから癌の発症率が高くなる年齢に差し掛かることから、継続的な調査が必要である、という一文であった。原爆は終わっていない。まだ「現在」のことである。