駅弁と駅弁ならざるもの(広島紀行: 2)

東京駅から新幹線に乗るのなんていつ以来だろう、と思ったら一昨年の祖母の葬儀の時以来だった。去年は東京駅からは全く新幹線に乗っていなくて、東海道新幹線に乗ったのも、昨年4月に新神戸から東京に帰ってくるのに使ったその1回きりだった。つまり外が見える状態で東海道新幹線に乗るのが2年ぶりであるのだが、東海道新幹線は良くも悪くも東海道新幹線であって、車窓より眠気が勝る。3連休でもなんでもない土曜日の午前の新幹線で、指定席にはそれなりの行列ができているが、グリーン車は大して混んでいない。隣に人は座っていないし後ろに関しては誰もいない。静かでよく眠れる。夜行バスよりよほど眠れる。夜行バスは寝なくてはいけないから眠れないのであって、新幹線は寝なくてもいいからよく眠れるのだろう。名古屋までよく眠った。

昨年の7月に変わったというチャイムを初めて聴いた。途中の駅でも始発の駅でもチャイムは変わらない。途中の駅と始発の駅でチャイムを変えるということのほうがそもそも珍しいケースだったのだけど、少なくとも「AMBITIOUS JAPAN」になる前のチャイムからずっとそうだったから、途中駅全部同じチャイムを鳴らすのは一体いつ振りぐらいになるのだろう。音色がなんとなく貧弱な気がするけれど、3年もすればそのうち慣れるのだろう。

「北海道炙りサーモンと二種のいくら丼」という弁当を東京駅の駅弁売り場で買っていて、これを新大阪を出たところで昼食にする。千歳市佐藤水産というところが作っていて、駅弁マークがないので多分駅というよりは商業施設の売店などで売られているものである。要するにただの弁当である。それをさも駅弁のような体で駅弁屋で売っている訳である。しかしたとえば京王百貨店の駅弁大会でも駅弁ではない弁当は売られている。駅弁とそうでない弁当の境界は曖昧になってきている。駅弁を定義するのはもはや製造元ではなく販売する場所ではないのかとさえ思う。

昔は主要な駅に1つ駅弁製造業者があったものだが、今は駅弁業者の廃業が進んで、その駅で売られていた駅弁の製法を近隣の業者が引き継いでその駅の駅弁として売る、というケースが散見される。一見博多の駅弁っぽい見た目をしている弁当を熊本の松栄軒が作っていたり、新山口の弁当を広島駅弁当が作っていたりするケースがある。そうすると駅弁はその駅で売っているからその駅の駅弁なのか、その駅の業者が作っているからその駅の駅弁なのかわからなくなってくることがあるけれど、そんなことを考えて駅弁を買っているのは多分自分だけだろうと思う。

福山で降りる。だいたい岡山あたりで東京から乗っている人がほとんど降りてしまう印象があるのだけど、通路を挟んで反対側に座っていた女の人はまだ乗り続けていた。完全に眠り込んでいたので、ひょっとしたらこのまま博多まで行ってしまうのかもしれない。