別に「汽車」でなくてもなんでもいい

文部省唱歌『汽車』は常磐線沿線を描いた曲であるらしい、ということを大昔(まだ鉄道ジャーナル社が出版していた頃)の『旅と鉄道』で読んだ覚えがある。

今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無く トンネルの
闇を通って広野原

この童謡は3番まであるのだが、描かているのは窓から見える景色のことばかりで、実は汽車自体の描写はどこにもない。

機関車の童謡で一番有名と思われる『汽車ポッポ』も、本居宣長が作曲した『汽車ぽっぽ』も煙や汽笛のオノマトペとしての「ぽっぽ」という表現が登場するが、「汽車」にはない。

だからこの曲は別に「汽車」でなくてもいい。「気動車」でも「電車」でも「新幹線」でもいいし、なんなら「バス」でもいい。この詩の主題は走る機関車や車両ではなく「車窓」である。

ということを、スーパーの駅弁大会でこの曲が流れるたびに考えている。

駅弁というのは旅行中に動く列車の中で食うから価値があるのであるが、特に初めて乗るような路線だと、私の場合は列車が動いている時が一番大事なので、飯などはその前後に済ませておかなければならない。だから列車が動き出す前に食べてしまうか、ひどいときにはホームなどで食べることもあった。そういう旅行のときのほうが駅前の適当な食堂とか立ち食いそばではなく駅弁に頼ることが多かった。駅弁を買って唯一後悔したのは留萌に着いたら駅のそば屋が営業したときぐらいで、岩見沢の駅で買った半分駅弁みたいなよくわからない弁当を食べたのだけど、今だったらたぶん弁当を食べた後にそばも食べていると思う。