内田百閒『特別阿房列車』

内田百閒という作家は『阿房列車』で知ったのだけど、なんで『阿房列車』を知ったのかは忘れた。ただ、汽車に乗って用事もないのに大阪に行って帰ってくる、というだけのあらすじは、ただ列車に乗って帰ってくるだけという「旅行」を繰り返していた自分には随分魅力的に感じられた。

そして新潮文庫の『第一阿房列車』の冒頭1ページ目を読んだ時、不思議なワクワク感のようなものを感じた。

なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。

 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかもしれない。(特別阿房列車

 

しかし用事がないと云う、そのいい境涯は片道しか味わえない。なぜと云うに、行く時は用事はないけれど、向うへ著いたら、著きっ放しと云うわけには行かないので、必ず帰って来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。そう云う用事のある旅行なら、一等になんか乗らなくてもいいから三等で帰って来ようと思う。(同)

これは紛いもなく「こちら側」の人間である。この内容にすっかり魅入られた私は、新潮文庫の『阿房列車』だけではなく絶版の始まっていたちくま文庫の「内田百閒集成」を買い集めるようになった。最初は内容から入ったのだけど、このかっちりとした文体も私の好みだった。他の本を読んだ後、百間の本に戻ってくると、この硬い文体に安心さえ覚える。

2020年代、令和の時代になっても「阿房列車」を自称する不埒な人間は後を絶たないのだけど、内田百閒は前述のとおり一等車が好きだったから、18きっぷ普通列車に乗ってばかりの列車旅は「阿房列車」でも何でもない。百間が三等に乗るのは消極的な理由からである。今で言えば新幹線のグランクラスや「サンライズ瀬戸」のシングルデラックスばかりに乗っているようなものなので、「阿房列車」は鉄道旅行という言葉からイメージされる旅行とはまるで反対なのである。