宅浪すると宗教かアイドルのどっちかにハマると思っている

上野のカフェでカレーを食べていたら昔『前田敦子はキリストを超えた』っていう名前の本があったよね、と思った。何故かは知らない。別に読んだことがある訳でもない。残念ながら私は『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール)を読んだことがないので、読んだことのない本について堂々と語ることができない。語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならない(そういえば、少し諸般の事情で買った『ウィトゲンシュタイン入門』をまだ読み終えていない)。

昔から宅浪すると宗教かアイドルのどっちかにハマると思っていて、私は後者だった。だから前掲書のタイトルはまあ、わからないでもない。でも別に握手会に行ったことがあると言っても1回だけだし、ライブも握手会と一緒にやっていたミニライブの1度しか見たことがない。しかし冠番組だけは毎回欠かさず見る、というそんな感じのハマりかただった。個人や箱を「推す」という感覚ではなく、メンバー1人1人を非実在の「キャラクター」として消費しているような、そんな感覚。でも、スポーツカード屋でそのアイドルグループのトレーディングカードがバラ売りされているのを見た時、1枚1枚の値段がメンバーによって全く異なっているというのが、なんとなく人間それ自体の価値が可視化されているようでどことなく気持ち悪かった。アイドルの人気というのは感覚的なものであって、スポーツ選手のような「成績」という、目に見える「数字」というものが、我々の側に見えてこないからだと思う(せいぜい我々が把握できるのは握手会で「完売の枠の数」をいくつ出したか、ということぐらいなのだ)。それぐらいには距離を置いて見ていた。

7~8年ぐらい前だったらまだ名古屋駅の新幹線待合室で目の前を歩いていったのがそのアイドルグループのメンバーであったということがわかるぐらいには知識を持っていたのだが、もう最近は全然わからない。そのあたりの知識があった場所にいま、もっと別の何かを詰め込もうとしている。