大人になったら、日本海を見たくなる

はじめて日本海を見たのは社会人になって1年めの9月、信越本線普通列車の車内からであった。「青春18きっぷ」の最後の1日を使って、信越本線で長岡まで行き、長岡から上越線で帰ってくるという日帰りの旅行をしたときの、その一番東京から遠い部分だった。北陸新幹線はまだ長野までしか開通しておらず、「長野新幹線」と呼ばれていた*1。「それでも、日本海を見たかった。」と当時のノートに書かれていて、何が「それでも」なのかはよくわからないのだが、ただただまだ見たことのなかった日本海を見たくて、このルートの旅行をしたのだと思う。

北陸新幹線が金沢まで開業した時、イメージソングとしてつくられた「北陸ロマン」の歌いだしが「大人に変わったら 日本海に逢いたくなる」だということを知った。それは太平洋側で育った人の物の見方だよ、と思うと同時に、大きくなったら日本海を見たくなる、というのは太平洋しか見たことのない人にとってはごく自然なことなんだな、と思ったりした。

北陸新幹線の最大の特徴は始発から乗っている人がほぼ終点まで誰も降りないということである。岡山あたりまで毎駅のように途中で何度も客が入れ替わる東海道・山陽新幹線や、仙台でだいたいみんな降りてしまう東北新幹線とは明らかに違う(上越新幹線は乗らないのでわからない)。山陽新幹線だって広島を過ぎればだいぶ空いてくる。東京で横に座った人が終点まで横に座っている可能性はなかなかない。ところが北陸新幹線の場合、東京で真横に座った人は間違いなく金沢まで横に座っている。「富山」と書かれたガイドブックを読んでいなければ。休日午前中の下りなどは満席のまま終点まで走る。終点まで人権がない。いつもグランクラスに乗るのは帰りだったが、今度から行きの下りにしようと思っている。

*1:その当時「長野行新幹線」という俗称はすでに殆ど使用されていなかった