詩人、「友達」、夢の中、国立

一度だけワークショップというものに参加したことがある。福間健二さんが講師を務められていた国立市公民館の「詩のワークショップ」というもので、確か月に1度ぐらい行われていたこれに毎回参加していたのではなく、申込みをしていない人でも飛び入りで参加可能な回、というものに国立まで中央線で揺られていったのである。

内容はたしか3つの言葉から一篇の詩をつくる、というもので、そのうちのひとつが「雨」だったことは覚えているのだけど、それ以外はどういうものだったか覚えていない。その3つの言葉の内側で作ろうと思っていたのだけど全く何も浮かばなかったのだが、終わり際に3つの言葉の外側を考えてみたときに、ふとその3つが急に繋がってゆくような感覚があって、そこから一気に書き終えた。出来上がったものは一文字も覚えていないけれど、書いている途中のあの感覚だけは今でも鮮明に覚えている。その前にもその後にも、この一瞬にしかなかった感覚。あれが「言葉と真剣に向き合う」ということだったのかもしれない。

こんな一見の私を、福間さん始めワークショップの皆さんは懇親会まで招いてくださった。ゲストの講師だった暁方ミセイさんやワークショップの皆さんと、国立の駅前のビルの地下にある音楽で溢れた時間で満ちた時間を過ごした。福間さんとは「詩を朗読することについて」などという話をした記憶がある。

この懇親会のはじめ、その直前の半年で何故か3回ぐらいもお会いしていたミセイさんは福間さんに私のことを「友達なんです」という紹介をしたのもよく覚えている。大学を卒業してもう学生時代との人付き合いもほとんどなくなっていた頃、私のことを正面切って「友達です」と言ってくれる人がいる、というのがなんだか不思議であったしなんとなく嬉しかった。私とミセイさんの当時の関係をうまく言い表す言葉がたまたま「友達」だっただけなのかもしれないけれど、私なんかが「友達」でいいのかな、と思った。

ミセイさんとお会いしたのはこれが最後で、このあと私は詩を書かなくなり、福間健二さんは今年の5月に亡くなられた。福間さんの訃報に触れたとき、真っ先にこの日のことを思い出していたのだけど、それから時折この日のことを考えるたびに、起こったことが現実離れしすぎていて、ほんとうはすべて夢のなかの出来事だったのではないか、という気がする。