パスタサラダの倫理と豆腐バーの精神

パスタサラダはパスタサラダであって、パスタでもサラダでもない。サラダにしては野菜の量が少なすぎる気がするし、パスタにしてはパスタの量が少なすぎる。だから結局たんぱく質が取れるサラダと炭水化物という組み合わせにするか、たんぱく質の乗った炭水化物とサラダという組み合わせにするのが合理的で、結局パスタサラダというものをまだ買ったことがない。

豆腐バーは思ったよりも豆腐だった。醤油が欲しい。結構豆腐なので豆腐という名前でいいんじゃないかと思うのだが、棒状に成型されているので豆腐バーという名前なのだと思う。だから普通の豆腐屋が棒状の容器に入ったただの豆腐を売りだしたらおそらく豆腐バーのアイデンティティは失われる可能性がある。その時は別の形でバーを定義づける何かが必要になるが、恐らく面積が小さい面を下にしたときに自立するかどうかで定義づけるのかもしれない。しかし細長い直方体に切断した木綿豆腐はひょっとしたら自立するのでは、と思ったりもする。いや、案外豆腐バーのほうが直立しないかもしれない。すると豆腐バーを豆腐バーたらしめるものは一体何になるのだろう。