昔はよかった

東海道新幹線のチャイムが7月から変わっていた。最後に東海道新幹線に乗ったのは今年の4月だったけど、そのときはJR西日本の車両だったので、変わる前のチャイムを最後に聴いたのは、その一年前のGW、倉敷からの帰りまでに遡る。

車内チャイムが「AMBITIOUS JAPAN」に変わる前の「ひかり・こだま」チャイムを聴いて育った。だから「AMBITIOUS JAPAN」に変わる時は何で変えてしまうのだろうかと思ったし、変えてほしくないと思った。

東海道新幹線の車内チャイムが変わる、そういうニュースが出回った時、ネットに流れていたのはまさしくそんな感想ばかりで、「寂しい」「変えてほしくない」というのが目立った。ああこの曲もそういう曲になったんだな、と思った。

少し前に『白い巨塔』がリメイクされた時のことを思い出した。「やっぱり唐沢寿明版のほうが……」「私のベストは唐沢寿明版」などというツイートを目にするたび、その唐沢寿明版がリアルタイムで放映されていた時のことを思い出していた。「田宮二郎と以外財前五郎を演じる役者はあり得ない」みたいな評を見たのは新聞だったか雑誌だったかネットだったか忘れたけど、当時だって同じこと言われてたんだから今の方が好きな人は気にしないでくれと思った。

最初に触れたもの、特にそれが子供だったり、多感な時期だったりに触れたものを、それに代わる何かが超えることは絶対にできない。それは「昔(のもの)はよかった」という言葉に集約される。20代の頃散々聞かされてきた「昔はよかった」「昔のもののほうが優れている」というような言説、いや幻想が生まれる土壌を、いよいよ感じるようになるぐらいに人生を重ねてきたことに呆れる。こんなに生きるはずじゃなかったんだけどな。