思い入れのある合唱曲というものが存在する

好きな合唱曲というか思い入れのある合唱曲の、その理由が「その曲を練習をしている時間が、10年間という合唱人生のなかで唯一、曲と向き合うという行為そのものが心から純粋に楽しいと思える瞬間だったから」というのと、「作曲家に委嘱して初演した曲だから」というものがあるので、具体的な作品名を挙げるのは避ける。今はだいたいの曲について、いつどの合唱団によって初演されたかは調べればなんとなくわかるようになっている。つまり私がどんなところで合唱をしていたか判明する。

いま初演、という言葉が出た。文字の通り初めて演奏すること。ごく簡単に言うと「新曲の初OA」だ。ラジオ番組でアーティストの新曲の初OAを聴取率期間に流すように、有名な作曲家の新曲を初演するということは、すなわち演奏会の「売り」のひとつになる。

そういう曲を演奏するということは歌い手にとっても、同時に何事にも代え難い経験になる。まだ世界中で自分たち以外の誰も知らない音楽を、この広いホールに満たしていく。練習も、本番の演奏も、演奏の上手さは別として*1、この曲を世界に生み出したのは自分たちなのだ、というような感情が湧く。

でも、たまに「初演」と書けば演奏会に箔がつくと思っているのか、「初演」とただ書きたいだけじゃないか、というようなプログラムを見かけることがある。たとえばその演奏会で一度きりしか演奏される予定のない、演劇的な要素の多い舞台。またあるいは、その合唱団の団員が既存の曲をちょっと編曲したような曲。別にそれはまあ確かに「初演」なんだろうし、事実ではある。でも、前述のラジオの喩えに当てはめた時、みんなが知っているアーティストの新曲だからみんなが聞こうとするのであって、誰も知らない曲の新曲をOAします、といってただそれだけでみんなが聞こうとするだろうか、と思う。

まあでもそれは確かに「初演」であることは間違いではない。でも、「初演」の前に接頭語が付く場合があって、「国内初演」とか「関西初演」というのを、それはもう「初演」でもなんでもなくないか、と思う。この言葉が意味を持つのは音楽史の文脈であって、後年その楽曲の初演時期を調べる音楽研究家にとっては有り難いかもしれないが、演奏会のチラシに載せるのは明らかにそれが目的ではないだろうとは思う。

私が好きな曲は幸いそういった類のものではなく、後に出版され、Youtubeなどを覗くとちょくちょく演奏されているようである。初演したということよりも、初演した曲が様々な人によって歌われているということ。私はなんとなくそっちのほうが嬉しいのですが皆さんは如何なのでしょうか。

*1:後から聞き返すと確かに情熱のある演奏ではあってこれはこれでいいのだが、もっと「上手く」演奏できたのではないかとは思う