読書感覚文だったらよかった

「読書感想文」ではなくて「読書感覚文」ならどれほど夏休みの宿題は楽だっただろうか。今でも本を読み終わった後に感想が生じることなんてほとんどないから、たぶん今でも「読書感想文を書いてきなさい」と言われたら、だいぶ苦労すると思う。

でも読書の際に何らかの感覚は生じる訳で、それを書くのでいいならたぶんもっと簡単にできた。感覚は何も本の中からだけ生じる訳ではない。こういう心理状態で読んでいたから、こういう場所で読んでいたから、こういう時間で読んでいたからとか、本の外側によっても感覚は異なるはずで、或いは本の内容ではなくて文体からとか叙述のされ方とか、そういうところからも来る。でも読書感想文はだいたい本の「内容」から*1「感想」を展開させないといけなくて、たぶんまずそこを外すとバツが来るうえに、その「感想」もある程度内容が限定されてくるし、なぜその感想が生じたのかを割と論理的に書かないといけない。極めて窮屈。読書感想文は難しいのである。あれは子供を読書から遠ざける。人間を合唱嫌いにさせる合唱コンクール*2と並ぶ2大害悪。

読書感想文ってだからいまいち子供に何を期待してやっているかよくわからない。本を読ませたいなら方法を間違えているし、何かを書かせたいのなら題材を間違えている(まだ自由研究のほうがある程度の枠組みという補助輪のようなものがあるから、何かを書かせる練習になる)。

「この本を選んだ理由」「仮説(どういうことがかかれていそうか)」「結果(どのようなことが書かれていたか)」「考察」という自由研究の流れで書いてしまえばよかったのか。そういう実験の報告のテンプレートみたいなものは高校に入ってから知ったのだけど、これをもっと早く知りたかった。これに当てはめて「読書感想文」というものを書いてみたかった。

*1:しかも多くの場合、まず読むべき本がおおよそ指定されている

*2:ここで歌われる曲の殆どが、読書感想文で言う「指定図書」みたいな曲であることに要因のひとつがあると考える