これが夏というものだ

家の近くまで帰ってきたら街から浮かれたような雰囲気を感じた。ほどなくして遠くから東京音頭が聞こえてきた。野球場じゃないところで東京音頭を聴くのが久しぶりだった。これはもうどこかで夏祭りをしているに違いない、と思って、ちょうど近くを歩いている親子連れの後ろをついていったら、家のすぐ近くのささやかな広さの公園を目一杯使って、自治会の夏祭りが行われていた。3~4の出店は出ているし、決して広くない残りのスペースには和太鼓も出ていて、その周りを盆踊りをしている人が囲む。公園の入り口では、出店で買ったフランクフルトや飲み物を片手に親子連れがたむろする。

子供にとってはこういうものが「祭り」そのものなのだ。小学校3年だか4年ぐらいの頃、調べ学習で「『祭り』について調べてくるように」という課題が出た。私は親を隣町の図書館まで車で走らせて「つがわ狐の嫁入り行列」*1について調べたのだが、いざ発表の時間になるとみんな自治会レベルの夏祭りではない、周辺から観光客が集まってケーブルテレビで中継があるような地元にある祭を取り上げてきて、それはいいのだが全員揃いも揃って「ヨーヨー釣り、金魚すくいなどの出店が出る」と発表するので、自分だけ課題を間違えたのかと思ったことがあった。

でもそんなことはどうでもいい。夏だ。これが夏というものだ。この郷愁と熱気。冬には真似できまい。

自分の家から歩いてたかだか2分ぐらいのところなのに、自分の家にたどり着く頃には、東京音頭も和太鼓の音もすっかり聞こえなくなって、あの熱気も喧騒もない、ただ蒸し暑いだけの夏の夕暮れだった。

*1:新潟県で毎年5月に行われる祭。何故これを選んだことを覚えているのかもよくわからないし、今考えると日本に数ある祭の中からどうしてこれを選んだのか当時の自分に問い詰めたい。