セーラー服と近江鉄道

刑部芳則『セーラー服の誕生 女子校制服の近代史』(法政大学出版局, 2021年)という本を読んだ。制服マニアが歴史学と史料の正しい取り扱い方を身につけるとこうなるという好例である。これまでの制服研究があまりにも実証性を欠いたものであると強く批判し、全国に900あまりあった高等女学校のほぼ全てについて記念誌を閲覧したり現地に飛んで史料を見せてもらったりという所業をしてまでこの本を作り上げようという著者の姿勢にはただただ感服、脱帽するばかりである。だから「挙母高女」が「誉母高女」になっている、「八日市場敬愛高女」が「八日市敬愛高女」になっているなどというしょうもない誤字の指摘などをしてはいけない(八日市場だと千葉だが、八日市だと滋賀になってしまう)。

八日市場は子供の頃「妖怪千葉」だと思っていた。平成の合併で八日市場匝瑳市という読めない市になったためそういう誤解をする子供は減ると思うが、まだ駅名に八日市場というのが残っている。八日市東近江市というなんだかパッとしない名前になってしまった。

八日市には近江鉄道という鉄道が走っている。JR東海の発売する「JR東海&16私鉄乗り鉄☆たびきっぷ」という切符を使って三岐鉄道養老鉄道樽見鉄道近江鉄道を乗り潰すという旅をしたとき、最後近江鉄道の終点貴生川からついでに信楽高原鐵道まで乗った。信楽から戻ってきたら17時30分前で、そこから近江鉄道でまた愚直に米原まで戻って、米原から「ひかり」に乗って名古屋で「のぞみ」に乗り換えた。貴生川から京都まで出ればあとは「のぞみ」に乗るだけだからこの方が数時間早く帰れるのだが、あえて近江鉄道に乗ったのは、「日本の鉄道に全部乗る」という大義名分がもしなかったら近江鉄道米原から貴生川まで往復するということは絶対にないだろうなあと思ったこともあるし、近江鉄道に乗れる切符を持っているんだから近江鉄道で乗って帰ってやろうと思ったのもある。もう一度貴生川に来た時、そこから東京に帰るなら私だって間違いなくJRで京都まで出ると思ったのである。

新幹線の窓からいつも線路ばかりが見える近江鉄道に、生涯で乗ったのはいまのところこの一日だけである。