正義依存症

WikipediaのことをWikiと略さない人だけがUSBメモリのことをUSBと略した新聞記事に石を投げなさい。そういうつまらない揚げ足取りに時間を費やすことの虚しさ。ニュースやブログ記事に上から目線でコメントを入れる虚しさ。「痛いニュース」で本当に痛いのは、ニュースそのものではなくニュースについているコメントのほう。

言葉の意味は変わっていくものである、ということを説明するのに私は「神7」という例を出すのだけど、もともとAKB48の特定の7人のことを指す概念だったのが、いつのまにか総選挙の単なる上位7人を指す概念へと変わっていったのは、その特定の7人が卒業していなくなっていったのもあるし、一応公式ライバルという名目で結成した乃木坂46がフロントのメンバーのことを「七福神」という概念で表現したことにあるのではと思うが、アイドルにはそこまで詳しくないので知らない。

日本人は無宗教だと言うけれど、何も信じていないわけではない。それぞれ自分の中に「正義」がある。その正義が強いて言えば信仰ではないか。その自分の「正義」によって「悪」が「成敗」される瞬間というのは、「成功体験」のひとつの形である。だから自分の正義を振り翳すのは楽しい。麻薬のようなものだ。だから私達は議論をしたいのではない。言い負かしたいだけなのだ。その体験だけで自我を保っている。正義依存症。