ヤバい、エモい、エグい。

何に対しても「ヤバい」としか言わなかった若者だった人たちは、何に対しても「エグい」としか言わない若者たちに対して特に目くじらを立てていない(ように見える)。2000年代の「ヤバい」と2010年代の「エモい」、2020年代の「エグい」が指す内容は多分、変わらない。

突撃打者一巡二巡 パンチ効いた打線エグい

これは大阪近鉄バファローズのチャンステーマ5「パニ牛」の前半部分で、「エグい」が現在のような用法で使われていたことがわかる。このチャンステーマが作られたのは2003年頃、オリックスバファローズという球団名になる前のことだから、少なくとも20年前にはそういった用例があったことがわかるが、当時はまだ「ヤバい」のほうが一般的だったのではないかと思う。

言葉は変わる。いろいろな感情、自らの想像する範囲にない箇所にあるあらゆる感情を総括して表現できる言葉さえ変化していく。

年齢が2つ下の会社の後輩女子は何かにつけ「ヤバい」しか言わないのでたぶん世代の問題だと思う。「ヤバい」しか言わない世代。「エモい」世代、「エグい」世代。それを世代論に落とし込むと炎上するのでやらない。

自分達の常識の通じない、得体の知れないものに対して何らかの名前をつけてラベリングをすることが、それらに対する不安を取り除く最も手っ取り早い方法である。そうやって類型化することで、「あれは~~だから」と、思考停止することができる。