8月になると、なんとなく夏休みの終わりが始まった、という感覚になる。中学までは部活の大会が7月末だったらかもしれない。「夏休みが始まった!」という興奮も冷めてきて、学校に行かなくていい、という生活が少しずつ惰性になってくるのが、8月の始めという時期。そこに終わりの始まりみたいなもの、というより、夏休みは無限ではなく有限であり、終わりというものがある、というようなものを意識しなければならないということを感じていたのかもしれない。
ちなみに、日曜日の終わりの始まりは、3時のおやつを食べている頃。ああ週末も終わりやなと思いながらおやつを食べていた。「サザエさん」とか「笑点」を見ていると同じような感覚になる、というのはよく聞くのだけど、私はもっと早かった。諦めが早いのか、楽しいと思う時間は短いほうが絶望も軽く済むと、既に子供の頃から思っていたのだろうか。