日本の鉄道を乗り終えるのをどこにするか問題

日本の鉄道に全部乗ることに特別な技術はいらないから、それほど難しいことではない。

難しいのは最後の駅をどこにするかという問題で、大げさに言えば「死に場所」を決めることに似ている。それぐらい難しい。

私は南海多奈川線多奈川駅にした。行き止まりで、海が見える路線で、という理想を並べていったらもう南海の多奈川か加太しか残っていなかった。加太線のほうは観光パンフレットの類が配布されていたり、「めでたいでんしゃ」などという観光列車などが走っていて賑やかそうな感じがしたが、一方で多奈川のほうは何にもなかった。だから多奈川にした。夕暮れの2両編成の列車から多奈川で降りたのは私の他には1人しかいなかった。高台に登ったらまだ夕焼けに染まったとは言えないぐらいの海が地平線のほんの近くに横たわっているのが見えた。

「先駆者」たる宮脇俊三は、足尾線の間藤駅が「終着駅」になったことをやや不本意に書いている。

足尾線にはわるいが、最後の一線はもうすこし情緒のある線区、たとえば、一日二往復しかない中湧別ー湧別間あたりで乗り終えて夕方のオホーツク海岸をひとり感慨にふけりながら、といったところへ自然に落着するのではないかと思っていた。にもかかわらず、月並な関東地方の、しかも公害の原点などと言われる足尾になってしまった。(『時刻表2万キロ』)

1970年代~2000年代に活躍したレイルウェイ・ライターの種村直樹は盛線(現在の三陸鉄道リアス線)の盛駅国鉄を乗り終えた。感覚としては私と逆で、私だったら絶対に吉浜で終わりにしている。

盛線で全線完乗となれば、盛から吉浜へ向かって万歳するのが自然なのだが、吉浜が集落からはずれたわびしい無人駅であることは知識として知っていたし、盛という字面に魅かれ、盛を”完乗駅”にきめた。(『三陸で念願の国鉄全線完乗――久慈線宮古線・盛線』)

これは記憶があいまいだが、鉄道タレントの木村裕子氏が平成筑豊鉄道赤駅で国内全線完乗を達成したのも、彼女が「赤」に関係が深いから、という理由だったと思う。

先に考えておいたら考えておいたで、駅のほうが先になくなってしまう可能性がある。難しい問題である。ただ、成り行きでそうなった駅のほうが、どちらかといえば思い出に残るのかもしれない。