きみの言い訳は最高の芸術

『きみの言い訳は最高の芸術』は単行本で出たときに電子で買ってそれきりだったのだけれど、丸善ジュンク堂で「最果タヒ書店」をやっているのを見て久しぶりに読み返したら、この本はもっと大切にしないといけない本だなと思って、文庫版のほうを書い直した。

「友達いらない」とか「透明になりたい」とか「共感」とか、私が世界を見ているときに使うのと同じような言葉でこの人は世界を捉えている。でも、「そうそうわかるわかる」とこちらから手を伸ばそうとしても、それ以上向こうはこちらへは歩み寄ってはくれない。ただそこに立っているだけなのである。ものすごく近い場所にいる気がするのに、実際は全く交わることのない、完全に別の次元から世界を見ている。y=1/xのグラフの、y軸とそのグラフの軌跡のように、永遠に近づき続けるだけでまったく交わらない。

私を勇気づけてくれる訳でも、共感してくれる訳でも、気持ちを代弁してくれる訳でもない。でも、ただそばにはいてくれる。こちらに向かって何かを語りかけようとしているけれど、だからといって読み手に干渉してくるようなこともしない。「貴方は貴方、私は私」、それ以上でも、それ以下でもない。その距離感が心地よい。

この本をもう一度読み直した頃、もう一度ブログをやろうと思って、このブログを始めた。この本の影響があったのかもしれない。ただ思っていることを書くだけで、それだけでいいじゃん。タイパとかコスパとか、情報とかSEOとか、読み手とか知ったことではない。ただ言葉がここにあるだけ。それでいいじゃん、と、思わせてくれたのかもしれない。