絶望は未来の長さと釣り合っている

家に帰ってくると一回は明日休みだっけ、と思う。それが月曜でも火曜でも。それで明日も休みではないことを確認すると、また今日も生き残ったと思って、残りの一日を無為に過ごす。

院進したいと思っていたことを思い出した。自分が普通に会社や組織で働くということが想像できなかった。でも文系で大学院に進むことがどういうことか自分でもわかっていたし、西洋史専修のくせに英語が絶望的にできなかったから親にも言い出せなかった。結局最終的にその想像できなかった就職の道を選んでいる。

休んだところで今の状態が良くなるとも思えない。旅行に行ったところでリフレッシュにならないのと同じ。どっちだって、それが終われば、また今日と変わらない生活が続くと考えてしまうから。それが終わった後の生活にまた絶望するだけ。休暇が全てを終わらせてくれる訳ではない。休むなら、どこかに行くなら、それで全てが終わってくれないといけない。今はただ他のことに手を出す気力を保つ延命措置を施して、その間に今と同じではない生き方がないかを見出していくことしかできない。軽くなっている気はしないけど、幸い重くなっている気もしない。

絶望は未来の長さと釣り合っている。この生活の繰り返しが続く長さが、そのまま絶望の大きさ。