那智滝とバーネット・ニューマン

山種美術館日本画聖地巡礼 ―東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門―」に行った。奥村土牛の《那智》を見て、バーネット・ニューマンの《ワンメント6》を思い出した。土牛の《那智》で描かれる那智の滝と、ニューマンの「ジップ」と呼ばれる、画面を垂直に走る縦の線が似ているなと思った。

那智の滝はそれ自体が神社の神体である。土牛は「崇高」という言葉でこの滝をあらわした。ニューマンらのカラーフィールド・ペインティングの作品も「崇高」がキーワードだとすると、案外この2つには通ずるものがあるのではないかと思う。

奥村土牛の《那智》は縦の画面に縦に滝の流れを配置している(そういえば今度「やまと絵展」に来る国宝の《那智滝図》(根津美術館)も縦長である)。一方でニューマンの《ワンメント6》は横長だが、他の「ジップ」が入る作品には縦長の作品もある。縦長の作品に1本線が引かれているとそれはもう滝である。横長の作品であれば、長さの異なる2本の直線が垂直に交わる構図、まさしく十字架である。そうなるともうこの引かれた1本の筋というのはどう転んでも信仰の対象の表現ではないか、ということを思ったりした。

違うところをあげるとするとせいぜい線以外の場所を風景として認識できる程度に描いているか少ない色で塗りつぶしてしまっているかの違いと、ニューマンの場合は線が引かれているのが必ずしも画面の真ん中ではないというところではないかと思う。なんだかだんだんと面白くなってきたのだが、別にちゃんと証拠を集めて書いている訳ではない。ニューマンの作品一般と奥村土牛那智》、《那智滝図》だけを比較して論じているのも無理がある。しかし《那智滝図》を観にまた東博に行かねばならなくなったことは確かである。

ここまで考えて、西洋画で滝を描いた作品を見かけないなとも思った。そもそも滝という概念にあまりなじみがないので当たり前で、あったとしてもたぶん落幅よりも川幅のほうが広い。だからたぶんやっぱり横長の作品になる。フレデリックエドウィン・チャーチの《アメリカ側から見たナイアガラ滝》を昨年のスコットランド美術館展で見たことがあるけれど、あれは縦長の作品ではあったが、ナイアガラの滝を横から見た図であった。滝を真正面に近い構図で、縦長の画面で描くのは実は日本特有のものなのかもしれない。何の話をしていたのだっけ。