ミニマリストにはなれない

ミニマリストとは要するに何も持たなくても自分の心が満たされている人である。私は自分の中がからっぽだから、何かを所有しないと自分の心が満たされない。だから私はミニマリストになれない。私にはモノが必要である。

所有欲はある意味いちばん簡単に満たせて、いちばん満たせない欲望だ。欲しい、と思ったものが物理的に置くことができ、金銭的に足り、入手可能な方法で売られているのであれば、あとは自分がそれの入手に動くか動かないか、ただそれだけだ。

文房具にはトレーディングカードのように「全部を揃える」というような概念がほぼないから、比較的に所有欲を満たしやすい趣味なのかもしれない。でも、手に入れていない万年筆の数だけ、所有欲というのは発生する可能性があるものでもある。「もう欲しい万年筆はない」と昨年の年末には思っていたのに、今年もう10本も万年筆を買っている。私は永久にミニマリストになれない。

イヴ・クラインとか、バーネット・ニューマン、アド・ラインハート、ロスコあたりの作品に最近惹かれる。イヴ・クライン以外は「ミニマルアート」とか「カラーフィールド・ペインティング」とかに分類されがちな芸術家で、クソデカいキャンバスをある色一色とか二色で塗っただけ、とかそんな作品を作るような人である。ああいう一連の作品は構図がどうとか、モチーフはどうとか、質感がどうとか、そんなことを考える必要が一切ない。ただ目の前に立ったときに、その絵と一体になれるか否か、ただそれだけである。そういうただデカくてシンプルなものに惹かれる。自分はミニマリストになれないからかもしれない。

水族館に行っても一番デカい水槽の片隅で微動だにしないサメやらエイの前に1時間2時間座っていても平気なのと、横数メートルもあるただ1色に塗られたキャンバスの中央に白い線がまっすぐ引かれているだけの絵を10分も20分も見ていて平気なのは、きっと同じだと思う。違うか。