うつわは社会のかたちをしている

今年はもう多分ないと思うので書くけど、3回もやきものの展覧会に行った。戸栗美術館、静嘉堂@丸の内、出光美術館である。外泊を伴う旅行は2回しか行っていないのに(夜行バスは外泊に含まない)、である。

やきものの展覧会のいいところはだいたい空いていることで、戸栗美術館なんて渋谷駅から徒歩圏内なのにあのスクランブル交差点周りを埋め尽くしている人たちは一体どこへ消えてしまったのか、という感じがするぐらい誰もいない。やきものはこれに加え東博で何回か見たぐらいなのでまだあまりよくわかっていない。形とか、色とか、光り方を見ている。やきものはケースに入れてしまうものではなく、なにかに使うのが本分だから、使う人がどういうものを求めていたのか、言い変えればその時の社会がどういうものだったのかが見ればわかる。器は社会のかたちをしている、と言えるのかもしれない。30センチもある大皿なんて卓袱料理とビュッフェ以外で何に使うのかもう想像もできないのだけど、こういう大皿から料理を取り分けるのが普通だったりするのだろう。当時はどんな意匠がかたどられるのが流行だったのか。どんな色が好まれていたのか、あるいはその色は技術的な問題でそうにしかならなかったのか。形は利用目的に沿ったものか、それとも単なる飾りなのか。そういうことを考えながらひとつひとつ眺めるのが、ちょっと楽しいと思ったりする。

時折一見しても何に使ったのかわからないものもあって、そういうものは解説文を見ると「用途は不明」と書かれている。