忘れてしまいたいと思えるぐらいには良い日だったのかも知れない

今日という日を忘れてしまいたい、と思えるぐらいには、良い日だったのかも知れない。流れていく日々は、覚えておこうとも忘れたいとも思わない。せいぜい胸糞の悪い後味が残るだけなのだけれども、今日のことは、全部忘れてしまおうと思った。手帳に今日のことを書いたら、付箋を貼った本の箇所をA5の手帳に書き写して、ロラン・バルトの『表徴の帝国』を読んで、ASMRの動画を見て、いつものような夜を過ごすことで、いつもと同じような一日にしてしまいたい。忘れても良いのではなく、忘れたい。そういう感情を書き残していくことで、逆説的に、忘れたい。でも、それは決して、「思い出すため」ではない。たぶん逆だ。今日はこういう感情だった、というのを、もうほかの感情で上書きされないために、忘れ去ってしまいたい。

高校時代の部活では毎年3月に定期演奏会をやっていた。その最後のステージで、来月、いや明日から別の学校に異動になってしまう顧問の先生が振ったあの曲は、他のどんな団体のものでも聴きたくない。その曲が入った演奏会にはどんなに自分たちより上手な団のものであっても足を運ばなかった。あの曲はあの日のままの記憶であって欲しいから。

今日の感情はなんとなく、この感情に似ている。たぶん。本当に大切にしたいものは、覚えておきたいのではない。忘れてしまいたいのだ。

そして他の誰が何と言おうと、あの日の私たちの演奏が、この曲における世界一の名演だったと、私は信じている。