人に影響を与えること恐怖症

人に影響を与えたい、という欲望がよくわからない。「みんなに笑顔を届けたい」とか、「子どもたちに夢を与えたい」といったようなもの。自分に想像力がないからかもしれないけれど。みんなって誰だ。子どもたちって誰だ。でもみんな結構そういう人になりたいという欲望があって、それでも何者にもなれない人たちが、せめて何も動じないこの世界に最後の一矢を報いようと、SNSにお勧めされやすいような投稿をしたり、人にウケるような内容のことを書いたりする。

とある店でちょっとめずらしいものを買って、それをInstagramに上げたら、それを見た人がその店で同じものを買っていった、という話をその店の人から聞いたことがあって、怖い、という感情が咄嗟に走った。自分の投稿が誰かを実際に動かしたということ。感情を動かすのではなく、目に見える形でそれが起こったこと。人に影響を与える、というのはそういうことで、自分の何気ない生活、何も考えていない生活が、何千、何万という人の購買行動を変えてしまうということに、もしなってしまったらと思うとなんとなく怖い。

「社会を変えたい」というのは、「どのように」というのを問い詰めると、「その人の理想とする形に」となるから、要するに「社会を変えたい」というのは全てエゴである。

別にエゴであることはよくも悪くもないけど、貴方の理想とする形の社会が大多数の人間にとっても理想であるという面をしてくるのは質が悪い。単なる個人のエゴをいつの間に「公益性が有る」と言い換えてしまう行為。「社会を変えたい」という言説に、そういう面が見え隠れしてしまうのが、そのようなことを言う人達から遠ざかりたいと思う原因だと思う。あなたの理想は理想でいいし、社会はそう変わってもいいと思う。でもそれが私にとっても理想だとは思って欲しくないし、私にもそう思ってほしいと思ってほしくない。

ちなみに、最初に書いた店員のその店の店員さんからはものすごく感謝された、ということは付け足しておく。私がもし笑顔にできる人がいるのなら、それはその瞬間私の眼の前に存在している人だけなのだ。