人生無駄ばかり

タイパやコスパが叫ばれる昨今「役に立たないことはしない」「無駄なことはしない」という価値観が日本に蔓延しているような感じがして(個人の印象です)、そう考えると自分の人生なんて「無駄なこと」「役に立たないこと」しかしてないような気がする。日本の鉄道に全部乗ったなんてその最たるものだと思う。他にも必要以上に手帳を買い集めたりだとか、ひたすら青い万年筆を買い集めたりだとか。お前なにかを買ってばかりだな。

まあでも大半の人間なんて50年後100年後の日本史に名前も残らないような存在でしかない訳で、みんなの言う「役に立たない」「無駄なもの」として触れることなく切り捨てられてしまうようなものに過ぎなくなるのだから、そんなに頑張って無駄を削ぎ落としたり役に立つことしかしないことを目指さなくてもいいんじゃないかと思う。

所詮何が「役に立つ」「役に立たない」なんて個人の価値判断に過ぎないのだけど、最初からその可能性を閉ざしてしまうのも勿体ないなあという気持ちです。それは自分が何者になりたい訳でもなく、どこを目指す訳でもなく、ただこの世界を漂っているからだとも思う。それはやっぱり生き残るという意思が全く無いのがすべての根本にある気がする。だからそもそも私が生きているということ自体が無駄なのであって、その無駄な人生のなかでなにかを目指すということがすでに無駄なのです。明日が来ることさえ不確実なのに、人生を逆算して考えるということができないのです。だから今やっている行為が何とも結びつかないように見えるし、事実将来のなんにも結びつけるつもりはないのです。でもだからこそ、後になって今までやってきたことが結びつく瞬間がたまらなく面白いのです。