存在しないものが存在すると仮定された空間においてすら既に存在していないものについて考える行為

昨日あんなことを書いたけど、あれからちゃんと久しぶりにあの模型の実物を机の上に並べて、買った2両を繋げて、走っているところを想像したら、今日神保町のドトールでなんとなくこれ、という設定が浮かんできた。これならまあそんなに不自然ではないだろうというか、こういう世界線もひょっとしたら現実には存在したのではないか、というお話である。やはり対象の徹底的な観察は重要である。*1 筆が止まったら徹底的に観察しなければならない。たとえそれがこの世界に存在しないものであっても。

これでこの世界の中に存在できる理由が裏向きにもちゃんとできたわけである。しかしこれを描くときは、「理由はよくわからない」「様々な噂や憶測があるが、真相は不明である」と書いて済ませるだろう。

ただ、7月の頭ぐらいからところどころで顔を出すこの鴎鉄道という路線を今走っているのはあの妙なところにドアがある「白い鴎が描かれた水色の電車」である。この小さい電車はもう走っていない。「もう」走っていないのであって、昔は走っていた、ということである。つまり、この2日間思いを巡らせていた、実物にして11メートルぐらい*2の小さい電車は、想像上の世界ですらもう存在していない電車なのである。この世界に存在しない鉄道路線が存在すると仮定されている空間において、既に存在しない概念について考えるという行為。なんという素晴らしい虚無だろう。

ちなみに、その空間において起こりうる未来、というのもその気になれば考えることができる。レイアウトを作った時はそこまでやった。年代設定が当時から10年ぐらい昔だったからで、ちょうどその時選んだ車両が現実の世界において置き換わる時期だったからであるが、あまりやりすぎると身動きが取れなくなるので、適度に遊びの部分があったほうがよい。虚構にも余裕が必要である。

*1:何かの文章作法の本に書いてあった。何の本かは忘れた。

*2:長崎を走っている古めの路面電車がこのサイズであるが、1両で走る路面電車でも普通は12~13メートルぐらいある。