自走客車

北海道に昔あった「簡易軌道」*1では、動力を持っていて客を乗せるための車両を「自走客車」というらしい*2。「自走客車」、いい響きだと思う。運転手という人間の存在なしに、自らの意思で走る。そんな響きがする。

たぶん世界のどこかには、そんな客車たちが人が住む前から走っている島がある。線路もきっと「自生線路」といって、自然と生えてくるのだろう。そこでは川が開いた海沿いの平らな土地に車庫を作り、川に沿って山のなかに入り、木の実などを取る生活をしている。やがて人間がこの島を見つけると、車庫の近くに集落をつくって住むようになり、この客車たちを使って山の中に入って一緒に果実を取ったり、集落の近くに港を作って、取れたものを港からいろんな国へ輸出するようになる。

住む人が増えてくると他の場所に住むひとがでてきて、その場所を結ぶように人間がちゃんとした線路を敷いて、新しい車両をつくる。新しい車両は、もっとたくさんの貨車をつなげられるように、出力も大きくして、そしてなにより、自分たちの意図するように動かせるようにしてあった。その新しい車両を使って、港から運ばれてきた物資を、その新しい集落に運ぶようになった。

それにしても、彼ら自走客車は何を動力にしているのだろう? 植物から油が取れるのだろうか? かつてこの島を訪れた人が住民に聞いてみたが、住民たちはそんなことは考えたこともなかったという。「曇りや雨の日が続くと動かない日もあるから、海と空の青さと、月と星の光をあつめて走っているんじゃないか」と笑っていたけど、さすがにそれはお伽話が過ぎるだろう、とその人は書いている。

ある日、その島から人間だけが忽然と消えてしまった。事故なのか、何等かの天変地異なのか、理由は分からない。その理由を書き残せるような人もいなかったし、他の島に移り住んだ、という人もいなかったから。でも、船でその島に近づくと、あの自走客車たちが動いているのが見える時があるという。乗る人も動かす人もいないのに、ゆっくりと走っているのだという。そしてそれは必ずよく晴れた日だという。

*1:1942年までは「殖民軌道」。開拓民のために簡易的に作られた、レールの上を走る交通機関。所管は運輸省ではなく農林省のため厳密に言うと「鉄道」ではない

*2:ちなみに動力を持っていないものは「牽引客車」という