義務教育の「いい子」

始めに断っておくが、これは特定の何かの事件について論じているのではない。

犯人の昔を知る人のインタビューでたまに見かけるフレーズに「昔は大人しくていい子だった」というのがある。自分自身がそういう「いい子」だったからなんとなくわかる気がする。義務教育の頃までは、おとなしくて、先生の言う事をちゃんと聞いて、記憶力がよくてテストの点が良ければ「いい子」になれた。それが遅くとも就活の時になる頃には、途端にそれは主体性のない、自分の意見がない、自分の頭で何も考えないというように言い換えられて、すなわち「使えない人間」へと評価が変わっている。

そのどこかでその周囲の価値判断の変化に対応できずに、変わった後の世界でうまく立ち回れなくて、次第に世界と齟齬を生じていく感覚というのが、わからないでもない。自分だって下手したら今頃そういう道を歩んでいたかもしれないし、そこまでいかなくても定職に就かず引きこもっていたかもしれないし、今現実として抑鬱症という症状が出ている。もちろん犯罪自体を肯定するつもりはない。もっと他の方法で、それを発散することだってできたはずだ。でも、今までそれが「よいこと」とされた生き方を何一つ変えないのに、ある時期から突然それを否定される不合理さを感じていたのだとしたら、それだけは自分もそう感じていたと正直に言わざるを得ない。