努力ができるというのは才能。

子供の頃にあまり大人から褒められた記憶がない。話したいと思うことがないうえに話したいと思う相手もいないから休み時間も授業中も静かで先生に怒られることはなかったし、自分の考えや主張がないから先生の言うことに従順で、それでいて記憶力だけは良かったからテストの点数はよかった。ただそれだけのことで「できる子」だと思われて、学年の何かの役職やらを任されて、それで何かをやってもいつも「お前はもっとできるよ」と言われ続けてきた。なんというか、いつも過大に評価されていた記憶しかない。

それを見返してやろうだとか、そういう風に思うような人ではなかった。だから頑張れるとか努力できるとかいうのは才能だと思う。そういうことがそもそもできない人だっている。私は割とそういう感じの、いわば最初から頑張れない人で、いつもだいたい5~6割の出力で生きているし、人生これ以上頑張っても仕方ないと思っている。これ以上生きていても仕方ないとも思っていて、裏返せばいつ死んでもいいみたいな感じで生きている。

たまにイラストなどを描くけど上手くなろうという気がないので10年前ぐらいから大してうまくなっていない。文章もうまくなったとは思わない。まあ文章もイラストも、誰かに見せるためにやっている訳ではなくて、それで稼ごうとか思っている訳でもなくて、ただ自分がよければそれでいいからだというのはもう十分に承知している。

そういう上手い下手があるものは趣味にしたくなくて、旅行だったり文房具だったり、人それぞれのスタイルはあるけど上手い下手という概念はないことばかりが趣味として残っていっている。仕事以外で競争に晒されていたくない。