高校野球が好きになれない

日本人は高校野球を通じて野球ではなくて高校生に感動している。スポーツをやるのに適さないような暑い日に、高校生がその適さないスポーツを頑張っている姿が昔から全国的にテレビで中継されていて、それがたまたま野球だっただけに過ぎない。感動している対象は高校生であって、野球ではない。野球はそれを媒介しているだけだ。だからもしその競技が野球ではなくサッカー(当時の言い方だったら「ア式蹴球」だろうか)だったらサッカーだっただろうし、ラグビーだったらラグビーだったのだろう。

高校野球はあまりに社会の共有物となりすぎていて、その点で「球児がかわいそう」*1だし、球児じゃない関係者もかわいそうだと思う。たかだか「高校生の部活の大会」なのに、それを大衆に「娯楽」として消費されて、大人が勝手に想像する「理想の高校野球(高校生)像」を高校球児も、そうでない人も押し付けられること。それが「高校球児のため」だと思われていること。そして、社会の共有物となりすぎているために、それを全く見ていない人が伝聞で意見するのが当たり前になってしまっていること*2。なんとなくそういう風にできてしまっている社会というか「世論」が、私を高校野球から遠ざけている理由だと思う。野球は好きだ。でも「高校野球」を好きになることはできない。

*1:高校野球に関する議論をすると必ず出現する常套句。

*2:これは逆に「感動」の押し売りというものにも当てはまる気がして、単にネットで拾ってきた動画にさも「自分」が「感動」したかのようなキャプションをつけて拡散する行為はアクセス稼ぎのために当たり前に行われている行為である