夏の寝落ちは叙情。

冬の寝落ちは悲劇だが、夏の寝落ちは叙情だ。後悔と、眠気と、ほんの少しの叙情。一秒でも早くこの時間を通り過ぎて眠りに入らないといけないという焦りと、いつ寝始めたかわからないぐらい寝たんだし、という諦めと、どうせすぐには眠れないだろうという達観。外はもうすぐ明るくなり始めようとしている。

ぼんやりと何かをずっと考えていたのだけど、結局何もまとまらない。明日も多分午前5時に眼を覚まして、6時にもう一度眼を覚ます。いつもと同じように満員電車に揺られて、慌ただしく1日を終えて、気づいたら帰る時間になっている。明日もきっとそんな日だろう。その時、明日という日が今日と全く変わり映えのない日であるということが見通せてしまった気がして、少し怖くなる。

子供の頃、死んだら視界が真っ暗のまま、永遠にそのまま過ごし続けるのではないかと思っていて、それがすごく怖かった。永久にそのまま何もできない。起きることも動くこともできない。それが私が最初に「怖い」と思ったことで、最初に触れた「死」についてだった。

実は今目の前で起こっているのは全て夢で、ある時ふと眼を覚ますと、全く知らない場所にいて、全く知らない人が母親として私を起こしに来るのではないか――そんなことを考えていたことも思い出した。そんな夢を見たことがあるのではない。何故かは知らないが、そんなことを考えていたのは1度ではない。まだ幼稚園ぐらいの頃だったと思うけど、その時から、既に自分は生まれてこないのが世間的には「正しかった」ということを予感していたと考えるのは、さすがに格好つけすぎだろうとは思う。

そんな思考の破片たちがまとまらないまま、また眠っていた。翌朝、どうして「夏の寝落ちは叙情」なんて思ったのか、満員電車の中でふと考えている。