空白を埋めるように、朝

昨晩冷房を切り忘れたと錯覚するぐらい部屋は冷たいのに、遮光カーテンの向こう側は昨日と同じ夏の青空が眩しい。

やらなければいけないことはあるけれど、やりたいことはない。予定はない。10年経てば、いや1年でも、下手をしたら1週間後には、もう「過去」の中に閉じ込められてしまう何もないただの休日。「一体何をしていたのだろう」という疑問だけがその時になって浮かんでくるだろう。

振り返る視点を遠くすればするほど、私やその周りを流れる時間は小さくなる。やがてその他の「なにかがあった日」とともに、存在ごと消えてしまう日々。何のために生まれて、何のために生きるのか、わかるはずがない。生まれてくる、ということは自分の意思とは無関係なのだから。それなのに、自分が生きている意味だとか、そんなものを見つけられなくて苦しむなんて馬鹿馬鹿しい。二度と思い出されることのないこの一日を、今しがた見つけたシステム手帳のリフィルの、何も書かれていない空白の裏面を「意味」のない文字の羅列で埋めるように生きる。できることはそれしかない。

「おはよう」この世界には誰もいないのに、その誰に呼びかけることなく、強いて言うとしたらただ自分を起こす信号として発せられる4文字。1日余計に伸びた休日は時計に時間を区切らせない。この自分が全てを定める。一人で暮らして生きる、ということは、少なくとも、一緒に住んでいる人には迷惑をかけない。それだけ、たったその一点だけを見れば、この世界から不幸がひとつ少ない。