大学の近くの古本屋やブックオフはやたらと詩歌関係の本が充実していて、当時大変お世話になっていたのだが、たまに「謹呈」と書かれた栞が挟んであったり、ひどいときには割と最近出た本なのに著者直筆で「○○様へ」と扉に書かれているものまであった。
たぶん読まずに売ったのだろう(1回でも目を通したなら「謹呈」という栞ぐらい外すはずである)。私ももらった本が読めない人である。「○○様より御恵投頂きました~~という本を拝読」みたいな記述を見かけることがあるのだが、よく読めるなと思う。自分の「読みたい」という意思が介在しない本を手に取り、開くという行為が私にはできない。それが研究者とかで同じような分野を研究しているような人からある程度専門性のある本をもらったなら参考文献の一つになり得るので何かしら有益な情報の1つや2つどこかにあるのだろう。しかし文芸や詩の場合、本屋で文庫や詩の本棚の前に立ったところで手に取らないような本をもらっても、それを開くという意思さえ起こらないのは至極当然の極みではないか。子供の頃親から与えられた本は読まなかったし、職場の鉄道好きの人から鉄道の本を貰ったことが何度かあったが結局一回も読まなかった。鉄道好きといっても幅は広いし、私は思ったより鉄道の本を買っていない。『鉄道ピクトリアル』*1か『RM-Library』*2ばかり買っている。
しかしだからといって、謹呈でもなんでもない、ただもらっただけの本でさえ古本屋に売るという勇気はさすがにない。