紙の大きさと思考の大きさ

システム手帳は独立した1枚の紙の集合体である、と言えるから、これを構成する1枚1枚のリフィルが、小さい1冊のノートである、と言えるかもしれない。有限性という単位では、1冊のノートと1枚のリフィルは同じである。

したがって、システム手帳においては、その紙の大きさが、そのままダイレクトに思考の大きさを規定する。ノートの最後のほうになると、どのようにしてキリよくノートを終わらせることができるか、どこまで書けば区切りとしてふさわしいか、ということを考えるようになるけど、システム手帳では、同じような思考がリフィル1枚ごとに繰り返される。小さい紙では、大きい紙と同じ量を書いていても余白の部分は少なくなる訳で、最初からある程度書く内容を削ってからペンを持ち、その余白のなかで文をまとめようとする力がはたらく。あまり何ページにも渡る長い文を書こうとは思わない。最近ミニ6サイズからバイブルサイズへと、紙の大きさを少し大きくしたのだけど、今までだったら「別に書くまでもないかな」と思って勝手に頭の中で消していたものも、紙に書けるようになっている気がする。

逆に言うと今までだったら手帳に書いていたものに書き加えていく形でブログを作っていたのを、逆に手帳に書いていたことを削っていく形で記事をつくるようになるのかなと思う。

もっとも、ブログに載せるようなことは以前からバイブルサイズのほうに書いていたのがほとんどだったから、案外大してスタイル的には変わらないのかもしれないけれど、もう少し日記的な記事が増えていくのかもしれない。