電子書籍をシステム手帳に書き写す

電子で買った本も基本的にはマーカーを引いておいて、あとでA5のシステム手帳にその部分を書き写している。そのためにA5サイズのシステム手帳を買った。自分の興味のある分野はバイブルサイズという一段階小さいサイズのシステム手帳に情報を集めていたのだが、別にそうでもない分野だったり、稀にする全く関係のない、読書のための読書なんかは、マーカーを引いたり付箋を貼っておいてそのままにしてあった。それがもったいないと思ったので、「それ以外」とも言うべき本に関しては全部A5の大きなシステム手帳に抜書をしておいている。

電子で買ったものをわざわざ紙に変換している、と言えるかもしれない。でも電子というのは性質上物質として存在しえないものなので、どうしても記憶に残りづらい。買ったことすら覚えていない本というのも多数存在する。GUI上に表示される外観というものは存在するが、文庫本も四六判の本も雑誌も、本を選ぶ画面では全て同じ大きさのアイコンで表示され、数百ページの分厚い本も、百数十ページの薄い本も、外側からは判別することができない。質量は存在せず、わずかな外観も均質的なのである。

別にその本を開けば、マーカーを引いた箇所に一発で飛ぶことができる。うろ覚えの断片をすぐに確認しに行ける。それでも手帳に書き写すのは入れ替え可能なシステム手帳だからである。電子になってくれない本も同じサイズのシステム手帳のリフィルに抜書することで、電子書籍とはいわば逆の方向の均質化が起こる。そしてそれらの抜書を、任意の順番に並べ替えることができる。著書の50音順に並べることもできるし、読んだ順番に並べ替えることもできる。その本の中でさえ任意に並べ替えることもできる。

こう書くと大層なことをしているように見えるけど、やっていることは『思考の整理学』とか『知的生産の技術』で書かれている、柳田国男の時代から行われていることと大して変わりはしない。ただ本の内容をシステム手帳という綴じられるカードに書き写しているだけなのだから。ただ、質量もページをめくるという行為もなく、ただディスプレイのうえを目を滑らせながらマウスを叩くだけで流れていく電子書籍に関しては、「書き写す」という行為は紙の本に比べてより強力なツールになるのではいかと思っている。

ちなみに書き写している時間は割と虚無である。ただし、万年筆を使うためだと思えば悪い行為ではない。