万年筆売り場は戦場である

万年筆の購入は戦いである。そのペンを持った瞬間、好きになれる見た目をしているか。書き味をしているか。購入したいものを目の前にした試筆の瞬間は一種の興奮状態にある。だから如何に、いつもと同じ心理状態で、落ち着いて筆を運べるか。試筆の紙も基本的に最上の紙を持っているから、できるならいつも書いている紙を使って書くのがよい。できるなら、座って書けるのがいい。本物を目の前にすると、判断基準が甘くなる。それらを押し切って、この一本を自らの元へと迎え入れるのに足りるものか。物欲と理性の間の猛烈なせめぎあいののち、買うか、買わないかの判断をする。その結果が試筆の前から決まっていようと、そのいずれの結果になっても疲労困憊になる。システム手帳を買う時はそんなことはないのに、万年筆はいつも戦っている。そして迷って買わないという判断をした時、なぜかいつも逃げるように万年筆の売り場を後にする。

そう考えると万年筆売り場は戦場であるといえる。まあ銀座伊東屋なんかは客が多すぎて本当の戦場になっているのだけど、青山の書斎館とか、三越ステーショナリーステーションは「戦場」という言葉からイメージさせるのとはとうてい違う形での戦闘が常日頃から繰り広げれている。

まあそれが万年筆を買うということで、数万とか十数万とかいうものを買うのだから仕方がない。しかしそうでもない人もいるもので、セーラー万年筆のルミナスシャドーという11万円もする万年筆をほんの少し試筆しただけで「これください」と言っている人がいて、ああ別の世界に住んでいる人もいるもんだと思った。